興味深い本を見つけちゃいました。
日本イタリア料理界のマンマこと堀川春子さんを中心に書かれた日本イタリア料理史です。
「日本イタリア料理事始め~堀川春子の90年」内容
堀川春子さんは1917年(大正6年)に生まれ、1933年(昭和8年)15歳で通訳官付きのメイドとしてイタリアに渡ります。
1937年(昭和12年)に帰国し、その後はイタリア料理の紹介と普及に人生を捧げげます。
冒頭は堀川春子さんの告別式の様子から始まります。
吉川敏明氏、落合務氏、濱崎龍一氏、室井克義氏等現在のイタリア料理界を背負っている名だたる方達が参列しています。
「イタリアのことを何も知らなかった日本に伝統的なイタリア料理を伝えようとした」と吉川氏が評したように、日本のイタリア料理界にはなくてはならない存在だった方という事が推測されます。
帰国後は20歳で結婚し、しばらくは家事と育児に励みますが太平洋戦争に突入、終戦後、1952年35歳の時に在日イタリア大使付き秘書のメイドとして勤務。
その後新宿伊勢丹に「カリーナ」を開店し、1964年の東京パラリンピックのイタリア選手団の食事を担当したり、碑文谷「日本オリベッティ」の社員食堂を指導したりと活躍しますが、本物のイタリア料理を出したいという思いで1971年原宿に「トスカーナ」を開店し、総責任者となり、若い料理人を育てることにも奔走します。
その功績で1986年「カヴァリエーレ(騎士勲章)」を受賞。
亡くなる90歳までイタリア料理の講習会の教壇に立ったという豪傑な人生を送った堀川春子さんの人生を記しています。
「日本イタリア料理事始め~堀川春子の90年」感想
1980年代はフランス料理の全盛期でした。
そんな時やたらと「アルデンテ」という言葉が独り歩きし、「壁の穴」や「五右衛門」などのスパゲッティ専門店が人気で、私もよく通ったものです。
スパゲッティというとナポリタン、ミートソース、また専門店でもたらこスパゲッティなどの和風が人気で当時の日本人の最初のスパゲッティの入り方ではなかったでしょうか。
今でこそペペロンチーノやボンゴレなんて当たり前ですが、イタリアにはないスパゲッティの方が主流だったなんてそこが日本の面白いところですよね。
この本はイタリア料理業界の歴史が細かく書かれていて、私自身もイタリア料理をコースで食すというのが80年後半だったので、その後のイタリア料理の繁栄を見ると、とても興味深く読めました。
堀川春子さんは母親の躾が厳しく、逃れたいためにイタリア行きを決意しますが、その当時、いや今でも15歳という年齢で一人でイタリアに渡るというのは凄い事ですよね。
帰国後の活躍を見ても彼女の行動力、即決力の凄さがわかります。
イタリア料理の材料、オリーブオイル、バルサミコ酢、トマト缶、バジル、生ハム、チーズなんて手に入らなかった時代です。
いかにイタリアの味に近づけるか、また日本人が本場の味に慣れるまでの苦労話など興味深い事がたくさん書かれています。
晩年も勢力的に講習会の講師をしたり、話題のレストランに行って批評したりと勢力的に活動します。
面白かったのは彼女が「ニセモノ」という料理が冷たいスパゲッティ。
当時オープンキッチンという画期的レストラン「バスタ・パスタ」のシェフ、山田宏巳氏のスペシャリテ「冷たいトマトのカッペリーニ」を批判していたそうです。
イタリアには冷たいスパゲッティはなかったので認めたくなかったのでしょうね。
でも今は冷たいスパゲッティは人気のメニュー。
私自身もこの「冷たいトマトのカッペリーニ」最初に食べた時あまりの美味しさにびっくりした記憶があります。
まとめ
イタリアンの歴史は意外と新しいので、ある程度の年齢の方であれば読んで懐かしさを感じること間違いなし。
ただ堀川春子さんという方は意外と知られていないのではないでしょうか。
朝ドラの主人公になったら、毎朝イタリア料理が出てきて、人気になりそうだなぁと思ってしまいました。
イタリア料理は浸透はされてはいますが、いまだにスパゲッティとピザ中心という感は否めません。
コロナ禍でレストランに行く機会が減ってしまいましたが、改めて伝統的なイタリアンを食べに行きたくなりました。
巻末には堀川春子さんのレシピノートも記載されています。
ミートソースに卵、パルミジャーノ、茹でたスパゲッティを合わせ、フライパンでお好み焼きの様に両面カリッと焼く「トスカーナ風スパゲッティ」が残り物の活用で興味深かったです。
興味ある方2009年発売ですが、現在は中古品のみで価格が高くなっていますので、図書館で探してみてください。
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